米国臨床留学マッチング・増田先生インタビューその2

みなさま、こんにちは!今回は前回に引き続きテキサス大学ガルベストン校(University of Texas Medical Branch)内科レジデンシープログラム(Internal Medicine Residency)にマッチされた増田先生のインタビューです。続きをどうぞ!

ーー初期研修で手稲渓仁会病院を選んだ理由は何だったんでしょうか?

増田 外国人医師による指導をはじめとして、医学英語教育に力を入れていたことに魅力を感じたことや、同じ志を持つ同期や先輩・後輩に出会えると感じたからです。

ーー実際初期研修を行ってみていかがでしたか?

増田 初期研修中は忙しく、資格についてはなんとかスキマ時間を見つけながらUSMLE Step2 CKに合格するのが精一杯でした。一方で、私が初期研修を行っている間にも多くの先生がレジデンシープログラムにマッチしていきました。結果として、私の1-5年目の間に10人の先輩・同期・後輩が米国・カナダ・英国での臨床留学を実現されました。

ーーかなりの人数ですよね。

増田 それに加え、宮田真先生(現:SSM Health Cardinal Glennon Children’s Hospital 小児外科)や中嶋優子先生(現:Emory University 救急科/国境なき医師団会長)など、米国で活躍されている先生方が手稲に来てくださったりして、多くの刺激をもらいました。

ーー手稲渓仁会病院の研修内容についてはどうでしたか?

増田 米国でのレジデンシープログラムは比較的忙しく、それに備えて日本にいるうちに内科救急を中心とする臨床力を身に付けたいと望んでいました。その点で手稲渓仁会病院での研修はプラスになったかなと思います。初期研修中の総合内科、循環器内科、ナイトフロート (病棟管理・新入院対応)はとても大変で、毎日、”あと何日で終わるかな”とカウントダウンばかりしていました。二度とやりたくないと思っていましたが、当時の苦労は振り返ればプラスになったかな、と感じております。

ーー初期研修では先生も苦労されていたのですね。

増田 当時の3年目の先輩から屋根瓦式で多くのことを学び、また、“総合内科のカンファレンスで指導医からの多くのフィードバックを通じてプレゼンテーションスキルも磨くことができました。

ーー確かに総合内科のカンファレンスでは新たな観点に気づかされることは多かったです。

増田 3年目も、引き続き手稲渓仁会病院で研修しました。3年目だった当時、とくに総合内科は“超過渡期”で指導医不足の時期があり、日中の内科病棟に私以外の医師が初期研修医の先生しかいない、という日もありました。大変なこともありましたが、病棟チームリーダー的なポジションをやらせていただき、責任をもって診療にあたったり、後輩指導に携わったりした経験のおかげで、内科診療に自信を持てるようになりました。

ーー手稲渓仁会病院での初期研修3年目を選択されて、臨床留学にはプラスになりましたか?

増田 初期研修3年目はフレキシブルに研修ができ、時間も取りやすかったため、当院の指導医の先生と臨床研究にも取り組みました。研究業績はまだまだですが、マッチングの面接の際も自分の研究に興味を持ってくれる米国人医師もおり、やってよかったなと思えました。私の場合英語が堪能ではないため、米国で生き残るにはその分臨床能力で補うのが大切だと実感しています。まだ米国での仕事は開始していませんが、手稲渓仁会病院での臨床経験が今後、米国での診療にも活きることを信じています。

(次回に続く)