阪神・淡路大震災から25年を機に災害対策について考える【定山渓病院看護部ブログ】
やその後の対策、被災した病院では、近隣自治体の病院と連携し
サポートシステムを構築したことや住民への啓蒙活動などをたくさん報道していました。
当時私は、手稲渓仁会病院で3交替で病棟勤務をしていました。
その日、深夜勤務でしたので緊急速報などは見ることなく朝になり、
とナースステーションに来て、教えてくれました。
驚いた表情と不安な様子に慌てて一緒に病室に戻り、
TVにでていることをお話をししました。25年たった今でも鮮明に覚えています。
2018年9月北海道胆振東部地震がありブラックアウトを経験しました。
その日は、自宅にいました。患者さんはもとより病棟スタッフにケガはないのかと心配になりました。その後、病院機能や病棟の通常業務はできるのかと不安になったこともまだ鮮明に記憶しています。
少しでも早く病院へ行こうと信号の機能しない230号線を病院にむかい、運転が苦手なのも忘れるほど必死でした。
当時の対策の様子です。
緊急対策会議
ホワイトボードを使用しての問題点の確認と洗い出し
患者・家族へのお知らせ
2018年9月10日の看護部ブログに病院の様子を掲載しています。
http//jyozankei-kango.seesaa.net/archives/201809-1.html
災害はいつ起こるかわからないので、当院も非常電源コンセントの増設や
LED常備灯への変更などの対策を進めています。
平穏な日常の中にいると、当時の不安・危険などを忘れそうになりますが、
“いつ起こってもおかしくない”と肝に銘じなければと1月17日の報道を見て改めて思います。
N・Tao