
リハビリテーションセンター
病気とリハビリテーションの階層的理解
図01
病気とリハビリテーションの関係を理解するために、医学の分野から見た社会構造を幾つかの階層に分けて考えます。下から順に(1)生化学の階層、(2)細胞生物学の階層、(3)組織学の階層、(4)解剖学の階層、(5)個人の階層、(6)社会の階層です。
図02
まず最下層の「生化学の階層」を示します。生物の中で起こっているのは生化学反応です。もちろんこの反応は原子と原子の結合や分離というもっと下の階層にあるのですが、ここでは略します。無味乾燥的な言い方をすると、人間は試験管の中でも生じるような生化学反応の集合体にすぎません。ラプラスの悪魔(Laplace’s demon)とは主に物理学の分野でピエール・シモン・ラプラスにより提唱されたものですが、原子の動き方などの物理法則が正確に予測することができれば、現在の状態によって「未来は予測できる」というものです。人間の将来は既に決まっていて、ラプラスの悪魔はそれを知っているのです。これによると人間は単なる機械仕掛けのマシンに過ぎないことになります。しかしながら実際のところは、ある生化学反応は次々と他の反応に影響していきます。それが信じられないくらい積み重なると,そこに「精神が宿る」というのは不思議なことです。病気としては、ある生化学反応に必要な酵素が欠損することによって、本来なら分解されるべき物質が細胞内に蓄積されて生じる病態があります。
図03
「細胞生物学の階層」を示します。生化学反応は細胞の中で生じています。細胞の中には色々な構造物があります。これらが細胞小器官です。たとえば細胞の複製を行う設計図は核の中、染色体の遺伝子にあります。この遺伝子レベルで生じる病気があります。図02のところで示した「酵素の欠損」は、このレベルと言えます。また次に示すエネルギー産生に関する細胞小器官による病気もあります。
図04
細胞小器官の中には、エネルギー産生に関して面白い進化をしたものがあります。それがミトコンドリアです。細胞レベルの進化の途中で、ある単細胞生物が別の単細胞生物に入り込みました。入る側も入られる側も互いにハッピーなら共生関係です。受け側の細胞が迷惑したなら「寄生」と言えますし、取り込まれたミトコンドリア側が不本意だったならば「他の細胞に飲み込まれた犠牲者」とも言えます。結果的に受け側の細胞にとって都合の良いエネルギー産生体になりました。このような経過をとったものには、ミトコンドリアの他に葉緑体があります。葉緑体はミドリムシ(ユーグレナ)を例外として、植物細胞にしかありません。植物はエネルギー産生体をふたつ持つ最強の生物です。このミトコンドリアは単独の生物だった証としてDNAを持っています。このDNAは母親の卵子からのみ受け継がれるため女系遺伝をします。男系は全く関与できません。ミトコンドリアの内部をマトリックスと言います。映画の「マトリックス」では、人間そのものが発電装置のエネルギー供給源となっていました。この場合の人間は、犠牲者ということになります。
図05
「組織学の階層」を示します。ひとつ上の「解剖学の階層」にある種々の臓器は、顕微鏡レベルで識別される「組織」という単位で構成されています。「組織」は特定の機能を持つ細胞の集合体です。癌は、組織の一部が変化して勝手に増殖していくものです。他の臓器に転移することもあります。ある組織の変化は他の組織に影響を及ぼします。例えばパーキンソン病において、黒質神経細胞の変性は大脳基底核の細胞の変化をきたします。
図06
「解剖学の階層」を示します。これは臓器単位の階層です。臓器は「組織」の集合体であり機能分担されています。肺に炎症が生じれば肺炎ですし、骨が折れれば骨折です。ある臓器の変化は他の臓器に影響を及ぼします。たとえば肺の機能低下は心臓の機能を低下させます。
図07
「解剖学の階層」の上に「個人の階層」があります。個人(人間)は解剖学的に識別できる臓器で構成されています。人間はひとりでは生活できません。個人がたくさん集まって社会を構成します。これが「社会の階層」です。このように医学の分野から見た社会構造の全体像は幾つかの階層から成っています。各々の階層はその中だけで完結するわけではなく、上の階層に影響を及ぼします。ですから、ある病気を考える時には、これらの階層を行ったり来たりして考える必要があります。
図08
種々の病気を考える上で最も適切な階層があります。しかしながら、その病気の根本的な原因がその階層に限定されるとは限りません。既に記したように、それによって生じる弊害は上の階層に及びます。たとえば脳梗塞です。解剖学的に脳へ分布する血管が閉塞すると生じる病態です。その上の「個人の階層」に影響が及びます。すなわち歩けない、話せないなどです。個人に病気が生じると、その上の「社会の階層」に影響が及びます。
図09
「解剖学の階層」の中での治療法には、血栓溶解術とか血管再建術などがあります。しかしながら死滅した神経細胞は蘇らないので後遺症が残る可能性があります。この場合はその階層の中だけでは解決できません。ひとつ上の「個人の階層」で何とかしようというのがリハビリテーションです。さらに上には「社会の階層」としての対応策があります。段差の解消などのいわゆるバリアフリーであったり、種々の社会サービスが相当します。
図10
病気の根本的な原因は、必ずしも個人の体の中にあるとは限りません。ある種の肺癌では煙草の影響が大きいですし、栄養の過剰摂取は種々の病気をもたらします。そもそも生物の基本設計として飢餓への対応策は充実してますが、飽食への対応策は貧弱です。例えば栄養不足で血液中のブドウ糖が低下した時に対応するシステムは複数あるのに対して、ブドウ糖が多すぎる場合の対応策はインスリンしかありません。糖尿病がそれに相当します。食生活の改善を含め「予防の考え」は重要です。蛇足ながら図の中で右上に付した言葉(小医は病を治す、中医は人を治す、大医は国を治す)は、大学での医学概論講座で聴いたものです。誰のどんな講義だったかは全く覚えてないのですが、これだけは覚えていました。せめて中医は目指したいものです。